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【名作読書】六号病棟/チェーホフの見どころと書評

チェーホフ「六号病棟」の基本情報

僕が読んだ「六号病棟」という短編作はチェーホフの「六号病棟/退屈な話」の中の6話目として収録されている。出版社は岩波書店で、お値段は他社よりやや高めであるが、その他の収録作のクオリティも考えると納得プライスである。個人的にはマジックリアリスム的不気味さと幻想性に優れた「黒衣の僧」、題とは裏腹に文豪トルストイを唸らせたという栄光を手にした老学者の人生の終末「退屈な話」お勧めしたい。

著者のチェーホフ氏のプロフィール以下から抜粋する。

ロシアの小説家,劇作家。幼少の頃から生活のきびしさを体験,モスクワ大学医学部に入学すると一家の生計を立てるため風刺雑誌に機知とユーモアに富む作品を書き,新進作家としての地位を確立。

23歳から結核に苦しみながら,ユーモア短編から中編,戯曲などに創作領域を拡大し,中期以降は社会問題を重要なテーマとして『曠野』 Step' (1888) ,『退屈な話』などの中編で新境地を開いた。短編には『六号室』『サハリン島』や晩年の『可愛い女』など珠玉の名作がある。また四大戯曲かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』はロシア演劇史上不滅の名作である

https://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%95-95715 コトバンクより

チェーホフの「六号病棟」の見どころ

チェーホフ:翻訳者としての医師

「簡潔さは才能の妹」であるという言葉を遺したロシアの短編小説の雄である文豪チェーホフは、

医師業の傍ら執筆を続けていた。

医師には、患者に対してわかり難いものを、わかり易く伝えるという職能があるのは想像できる。

身体についてのナイーブな話題を伝える上では、時に気の利いたユーモアも必要だろう。

建築家も同じが、プロフェッショナルとは常に翻訳を迫られるものなのだ。

貧しい家庭を支えるべく、勉学の傍ら週刊誌へ小説を投稿し、原稿料を稼ぎ始めたことが彼が短編を発表し始めたきっかけ。

結局この作家活動が医師になってからも続いたため、彼が短編を書いてきた理由は、勉学や、医師の仕事との二足の草鞋で、執筆に時間が避けなかった。と言うこともできる。

しかしながら、長編小説こそが文学の至高だという当時のロシアにおいて、

彼が作り続けた、短く、簡潔で、ユーモラスに満ちた物語の数々は、

彼の医師=翻訳者としての職能から生まれたものであるといえる。

何かがおこっても何も起こらない。

「六号病棟」はそんな彼の医師としてのキャリアを彷彿とさせる作品である。

この作品が書かれた1892年代という時代のロシアはまさに過渡期であったと言える。

1894年の日清戦争、1904年の日露戦争、そしてその敗退によってもたらされた1905年革命と続く、レーニン主義勃興前のきな臭い国内情勢への、不穏な前触れを感じていたことだろう。

狂人達による監獄と化した表題『六号病棟』における精神病棟を描きながら、

チェーホフ氏はやがて現れるアウシュビッツ強制収容所の風景を見ていたのかもしれない。

それもあってか、収録作品の結末にはどれも救いがない。

そもそもチェーホフ作品には明確な落ちはない。

「何かが起こっても、何も起こらない

自己啓発本から引用してきた一句のようだが、

これはロシア文学研究者アレクサンドル・チュダコーフのよるチェーホフの作品評である。

精神病棟六号病棟が舞台の本作もまたオチない。

途中の友人との突飛な旅と、筋に関係のない旅先での描写もまたチェーホフである。

 すべてにおいて物語や関連性を見出したくなるのが人間だが、それは人間のエゴであり、バイアスー思い込みによるものだ。

そんな我々の手をすり抜けるようにチェーホフのテキストはささやく。

『何かが起こっても、何も起こらない。』

『六号病棟』ー闘争か逃走かー

精神病棟を扱った作品で有名なのは「 カッコーの巣の上で」だろうか。

体制に喘ぎ、トレードマークの乱髪を奮うジャック・ニコルソンの奮闘っぷりは、

見ていて少し精神錯乱に陥っているのではとさえ思った。

本題に入ろう。

治療という終わりのない業務と、怠慢なまちの雰囲気になじめないでいる慈善病院に赴任してきた医師のアンドレイには、僕の生い立ちを重ねずにはいられない。六度の転校を繰り返し、絶えず新しい環境に身を置いてきた自分のすがたを。

何故ならこの、「馴染めない環境」に対してアンドレイ医師がとった行動と、僕がとってきた行動は同じだからだ。

ファイト・オア・フライト反応とよばれる、恐怖や困難に立面したときの人間も含めた動物における生命を維持するための生態反応をご存知だろうか。

問題や困難に直面した僕たちの手に力が入り震えが起こるのは、闘争するために筋肉が収縮を繰り返すからだであり、心拍数が上がるのは、逃走するために肺機能を向上させるからである。

闘争か逃走か反応とも呼ばれるこの反応を軸に物語を俯瞰すると、 

アンドレイ医師と僕がとった行動は容易に想像できる。

「逃走」である。

アンドレイ医師は目の前のボロボロの精神病院の再建や、患者の治療や人付きあいには向き合わなかった。

自らと権威を奮えば改善できたのにも関わらず。

彼は離れにある精神病棟「六号病棟」の患者イワンと出会い、彼の知性と人間性に魅了され、「六号病棟」に通いだした。逃走したのだ。

僕の場合はそれが読書であったのだが。アンドレイ医師の気持ちは痛いほどにわかる。

自分はよそからきた。自分は違う。自分は特別だ。

そんなバイアスが、アンドレイ医師を自らを精神病棟に収容させるという結末に結び付ける。

無関心とは、精神の麻痺であり、死の先取りである。

こんな言葉も遺すチェーホフが鳴らす警鐘は今を生きる僕の教訓にもなった。

まとめ

如何だっただろうか。

今回はチェーホフの六号病棟の要約と感想をまとめてきた。

チェーホフはほかにもたくさんの短編を出しているので比較的手によりやすい作家と言えるので

時間がない方でも、サクッと物語をたのしめるのでおすすめだ。

以上で「六号病棟/チェーホフ」のレビューを終えたい。

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