

ララバイの基本情報
- 単行本: 281ページ
- 出版社: 早川書房 (2005/3/24)
- 言語: 日本語
- 発売日: 2005/3/24
著者は『ファイトクラブ』の原作者チャック・パラニューク
チャック・パラニュークは日本ではあまり馴染みのない作家かもしれませんが、
ファイトクラブの原作者であると言えば興味を持つ方も多いかもしれません。
アメリカの作家で、 挑発的でスピード感あふれる文体と過激なストーリー展開が特徴的で、
ネット上でもカルト的な人気を誇っています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF
最近では、著者初のエッセイを出版したようで、ますます勢いに乗っています。
ララバイ以降、彼の翻訳本は出版されていませんが、英語でも問題ないという方は是非彼の新作も手に取ってみて頂きたいです。僕はファイトクラブをはじめとして数冊彼の未翻訳版の小説を持っていますが、
どれも、たたきつけるような文体がたまらない良品ばかりです。
彼のその他の著作や未翻訳本についてはおいおい書いていきたいものです。
「ララバイ」の見どころ
ララバイの見どころについて、以下にまとめてみました。
- 断片的な物語展開と短いセンテンス
- 『ファイトクラブ』の上回る破壊行為
- 「痛みのない破壊活動」
順に解説していきます。
断片的な物語展開と短いセンテンス

点と点をつなげるという意味の「Connecting the dots」とは故スティーブ・ジョブズの名言です。
You can’t connect the dots looking forward; you can only connect them looking backwards. So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.
将来をあらかじめ見据えて、点と点をつなぎあわせることなどできません。できるのは、後からつなぎ合わせることだけです。だから、我々はいまやっていることがいずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じるしかない。
(引用: 「ハングリーであれ。愚か者であれ」 – ジョブズ氏スピーチ全訳|日本経済新聞)
パラニュークの物語をはじめて読む人たちにこの言葉を送りたくなります。
なぜなら彼の作品は、断片的で時に支離滅裂で、読み手を置いて行ってしまうようなスピード感があるからです。
怪奇現象の起こる家について語ったかと思えば、
およそ一生のうちで知ることのないニッチな雑学を放り込み、
魔術的な『間引きの詩』で上司とマンションの住人を突然に亡き者とするといったことが
脈絡なく、それらすべての一見、支離滅裂な「点」がしばらくは打ち続けられます。
しかし散々に煙に巻かれた読者は、 読者はやがて気づきます。
散り散りの点が、いつのまにか結ばれ、いびつで、風変りで、魅力的な物語と、
カタルシスをもってして僕たちの前に現れるようになることを。
『ファイトクラブ』を上回る破壊活動

『ファイトクラブ』で暴力と破壊によるクリエイションが最高調を迎えたパラニュークですが、
本作ではそのエネルギーもやや息を潜めます。
間引きの詩と呼ばれる聴いたものを絶命させる力を持った魔の書をめぐるこのお話。
本のうたを唱えるだけで簡単に人が死ぬというこのアイディアは、
デスノートを想起させるアイテムであるとも解説では語られていますが、
デスノートと間引きのうたの共通点は、
「殺す側にはなんの痛みも発生しない」という点ではなかろうかと思います。
名前をよぶor詩を詠む。これだけで気付けば誰かが死んでいる。
「ファイトクラブ」で突き抜けた破壊行為による
エンターテインメント芸術を完成させた、パラニュークの熱狂の余波を期待していた僕としては
この痛みも犠牲も伴わない破壊活動というのには、どうにも心が訴求されなかったのです。
邦訳版が出版されたのもララバイが最後で、パラニュークは本作を境にオカルティックな作風へと舵を切っています。
恐らくは、パラニュークはとっくにファイトクラブを卒業していて、僕、いや日本のほとんどの彼のファンだけが未だファイトクラブの彼を引きずっているに過ぎないのでしょう。
パラニュークは、本作で、ファイトクラブでの暴力、器物破損の域を超えて、
人間そのものを亡き者にするという、より凶暴な破壊活動についての物語を描いていたのです。
「痛みのない破壊活動」とアイヒマン

この「痛みのない破壊活動」というのは、例えばサイコパスでもない限りは普通に生きている限り
認識しづらいのではないでしょうか。
壊れた人間関係、壊れた家財、
だれだってそういった破壊には痛みを感じざるを得ません。
しかしながら、そんな根本的な良心を脅かす魔性のアイテム(本書でうところの間引きの書、『デスノート』でいうところのデスノート、社会でいうところの絶対権力)ひとつで残念ながら人間は恐らく変わってしまうのです。
アイヒマンテストで有名な、ナチスに陥ってしまったアイヒマンは
人格的な診断によるとごく平凡なひとりの男でしたが、
権力を手に入れたかれは、
有名な『アイヒマンテスト』の次の言葉はまさにこのことを物語っています。
1人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない
本書の主人公がアイヒマンだったのか、そうでなかったのか。は是非一読頂きたいところです。
映画化?
2016年ごろには、『ララバイ』映画化のはなしも報じられていました。
この映画実現へのクラウドファンディングの呼びかけも本人出演で公開されています。
最近は聞こえてこなくなりましたが、資金繰りがうまくいかなかったのでしょうか。
パラニュークファンとしては気を長くして待ちたいところです。
ララバイは思い入れがあると話すパラニュークですが、
それもそのはず、この作品が書き上げられた頃と期を一にして 彼の父が銃殺され、
その犯人の極刑がきまったというのです。
そのあたりのはなしは『ララバイ』の巻末解説にも詳しく書いてあるので興味のある方は是非一読ください。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回はチャック・パラニューク著作の『ララバイ』についてご紹介してきました。
僕は彼の作品の大ファンで、未翻訳版も数冊持っています。
いずれ機会をみてそちらのレビューも皆さんにお届けできればと思います。
ショートコード
今回は以上です。